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【WORKS】地域PR動画の制作後ノート

徳島県で映像・写真・執筆などのクリエイティブ業を営んでおります、DAISUKE KOBAYASHIです

今日は昨年度に制作した地域PR映像について。

なかなか自分が制作したモノについて記録しておくことがなく、「あーあの案件の制作ノート残しておけば良かったな〜」なんて思うことも多々あります。なので「制作後」のノートとして、ここに書いておきたいと思います。

先ず、制作期間は2月上旬から3月中旬までの一ヶ月半。紹介動画、プロモーション動画などと様々な言い方ができますが、それらをひっくるめたパブリックリレーションズとしての認識になります。

牟岐町とは徳島県南部にある人口3600人程度の小さな漁師町で、その町から「町と若者」をテーマに制作依頼をいただき、ディレクションから撮影・編集・ナレーションまでボク一人でほぼ制作をしました(ナレーターと撮影のみ軽くアシスタントあり)。

当初ドキュメンタリーっぽい感じで…との要望を受けましたが、ドキュメンタリーを制作するにはあまりにも期間が短すぎる!そしてドキュメンタリーにするには要素も弱すぎる!そもそも取材対象者が多すぎる!ということで、雰囲気だけをドキュメンタリーっぽく仕上げました。

そして、「ドキュメンタリーにするには要素も弱すぎる!」と感じたことを逆に今回の大きな要素とすることにしました。というのも、彼ら彼女らは強い想いを持ちながら何かを始めている一方で、どこか青かったりします。この「青い」という表現を悪く感じる方がいるかもしれませんが、決してボクはそうは思っていません。

若者は青くあるべきだし、もっと言えば無責任であるべきだとも思っています。ボクが若者だった時はもっと青かったし、もっともっと無責任でしたが(笑)、少なからず彼ら彼女らにもそうした部分を感じたため、その青さをそのまま残し映すのがフェアだと思ったのです。

そして、「かもしれない。」という極めて曖昧な表現とし、冒頭のナレーションへ落とし込むことにしました。

「かもしれない。」という極めて曖昧な表現。なんて中途半端なんだと感じるかもしれません。しかし、今の衰退している日本において、若者が動いて何かが変わってきた試しがあるでしょうか?答えは確実にNOだと感じるし、今後もそれが益々加速してくことは間違いありません。なぜなら日本は超高齢化社会。高度経済成長やバブル期にシャカリキになって働き、日本の経済を回してきた方たちは今や超ご高齢世代です。それなりに利権をお持ちの方もいらっしゃるでしょうし、その利権を守るために躍起になっている方が大半でしょう。この資本主義社会において歴史とはある意味既得権益なわけで、この国は若者が無条件で羽根を広げて活躍できる国ではないのです。

そうした感覚を時代の流れとともにボクは肌で感じてきたし、歳を重ねるごとに理解をしてきました。なぜなら1980年生まれのX世代の、若者でもない年配でもない中間層のミドルエイジ。ベルリンの壁崩壊によっての冷戦の終結、日本のバブル崩壊、そしてグローバリゼーションとともに日本になだれ込むアメリカナイゼーション。それらを子どもながらにリアルに見てきた世代なのです。なので、彼ら彼女らがやりたいこと、やるべきこと、そして強い想いを持っている事はよく分かるし、激しく共感もします。でもそれは「かもしれない。」と思わざるえないし、そうした歴史的文脈からかけ離れているため、「青い」と思わずにはいられないのです。

そして、これはあくまでも彼ら彼女らにとって、そして町にとっても「点」であるべきとも考え制作をしました。「Connecting the dots(点と点をつなげる)」とは、スティーブ・ジョブズが2005年のスタンファード大学の卒業のスピーチで語った一説です。ジョブズの言う通り、未来を見据えて点を繋げることはできませんが(基本的には)、こうして映像として、そしてパブリックリレーションズとして残しておけば、それがいつか思いもよらない形で繋がるかもしれないと感じたのです。

というのも、こうした行政のお仕事をボクは今まで何度もお受けして制作をしてきましたが、その都度感じることは未来を見据えた視点が全くなく、その年度の予算消化のために成果物として納品し、そこで終了することがあまりにも多いのです。本来であれば納品してからが始まりですので、ボクはその違和感を今後とにかくなくしていきたい…そんな想いで点を置くことにしたのです。

要は「普遍的な作品としての視点」が完全に欠落しているのです。ボクは映像を作る仕事をしているので、折角なら普遍的に残るであろうものを制作するようにしています。ですので、これを点として置くことに意味があると感じたのです。

また、これを皮切りに今回の映像をスケールできたらとも考えています。良くも悪くも取材対象者が多すぎるため、内容が散ってしまい一人ひとりの話に深みを出せていません。では次作は一人ひとりにフォーカスしてくのか?それともまた点を置くのか?それとも?…ボクは多くのアイデアを持っていますが、実はそんな狙いもあったりするのです。

ボクは2024年9月で徳島県に移住して10年が経ちます。現在は個人事業主として独立をし、結婚をし、子どもが生まれ、二拠点生活という移動の多い生活を送っていますが、この移住してからの10年間の時代の変貌や移り変わりを普遍的な形で残しておくことができたか?と言ったらそれはNOです。こうして文章を書いたり、写真を撮ったり、映像を作ったりしているにも関わらず、普遍的な時代性を切り取れるモノはあまり残っていません。ボクはそんな計画性のない自分に少し後悔しているとともに、時代を残していくことの重要性をひしひしと感じています。

そして、それがボクが生まれてきた役割ではないか?とすら考えるようになり、これが自分の宿命だと感じていたりもするのです。10代の頃は社会に対し疑問しかなかった大変ひねくれたパンクキッズでした。それは43歳になった今でもどうやら基本的には変わっておらず、何かしら疑問を持たずにはいられません。その疑問を写真なり映像なり文章なりに起こし、形にしていくことがボクの宿命ではないかと感じているのです。ただ年齢を重ねたことで中庸であることを意識していますので、単に片寄っているというわけではありません。

最後に、この動画を観たことで牟岐町の事がわかることは恐らくありませんが、2024年現在の日本の地方の縮図、そして若者をボクたちX世代以上はどのように見ていくべきか?は分かるのではないかと思います。

一見、なんてことのないちょっとエモいPR動画として観ることもできるかと思いますが、制作者はこんな視点で制作をしていたのでした。ミクロとマクロの視点を持ち、観ていただけたら幸いです。