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映画『イノセンツ』を観た感想と考察

徳島県で映像クリエイターとして活動をしている、DAISUKE KOBAYASHIです🎥

先日、非常に観たかったノルウェー産ホラー映画『イノセンツ』を、上映最終日に観ることが出来ましたので、それについて書いてみたいと思います。

徳島県ではこうしたマイナーな映画を観ることは上映期間がかなり短いこと&フィルムが回ってくるタイミングが良くわからないことから、なかなか難しいのですがタイミングを合わせることが出来、ようやく観ることができました。

劇場は『鬼滅の刃』を制作したことで有名なユーフォーテーブルが運営するミニシアター系の『ユーフォーテーブル・シネマ』。脱税でも有名?なユーフォーテーブル代表の近藤光は徳島出身なのです。

しかしこの手のミニシアター系劇場は超久しぶり。確かヴィンセント・ギャロ主演のカニバリズム映画『ガーゴイル』を21歳ぐらいの時に岐阜市の劇場に観に行った以来です。

あれ?『ボーンズ・ブリゲード』って映画を名古屋のセンチュリーシネマにも観に行ったか?まいっか。

いや~この時は友人三人で観に行きましたが、堕ちまくって帰りの車内では誰一人喋らずに帰路についた記憶があります(笑)

映画の評論?感想?的なのは苦手ですが、観てきた自分の感想やディテールをパッケージングって意味も込めて記事を書いてみることにします。

先ず、監督・脚本は『わたしは最悪。』で脚本を書かいたエスキル・フォクトという方。ボクは先の映画を観ていないのでピンと来ないのですが、イノセンツを観たことでこの監督の素晴らしさをビンビンに感じることが出来たので、『わたしは最悪。』などの他作品も掘ってみようと思っています。

制作プロダクションはA24と思っていましたが、観てみて納得。全然違ってました。

そして主演の俳優はなんと子ども!イーダ、アナ、アイシャ、ベンを演じる4人の子どもたちを中心に物語が展開していくのですが、この子どもたちの演技がなんとも素晴らしいため、全く白けません!

特に自閉症を患っているこの映画のカタルシスでもあるアナ役の女の子。彼女の演技は本当に素晴らしいものがありました。

事実、子どもたちの演技があまりにも凄すぎてノルウェーのアカデミー賞と称されるアマンダ賞に全員ノミネートされているとか?誤情報かも……

で、内容の方はというと……

いや~、すごかった!!!

あらすじ的な感じだと、子どもたちがなぜかサイキックパワーを手に入れ、それをキッカケに残虐的な遊びを繰り広げていく、まさにホラー要素たっぷりの映画となっているのですが、この映画のモチーフとなっているのが大友克洋大先生の漫画『アキラ』の前日譚的存在の『童夢』で、ラストシーンは完全に童夢のソレです。

北欧らしい悍ましいホラー映画としての恐ろしさがありながらも、愛を描いているため泣けるシーンもあり、現在子育てをしているボクにとって、余計に何かを感じずにはいられない、非常に心に響いた一本となりました。

同じ北欧ホラーの『ミッドサマー』をマスメディアは同じカテゴリーとして並べたがりますが、正直ボクはミッドサマーは恐ろしく苦手な映画でして二度と観たくないほどです。

だってミッドサマーって本当に恐ろしく救いようのないストーリーじゃないですか。要はホラー要素を謎のクリーチャーがやっているのではなく人間がやってしまっている……そういう映画ってすっごい苦手なんです。だって現実に起こってしまうから……もしかしたら物語に社会的救済要素も組み込まれているのかもしれませんが、描写がキツくボクには到底理解できそうもありませんでした。

一方、イノセンツはなんだろう……ホラーをモチーフに現代社会に対しての問題を投げかけており、そしてそれへの救済が物語の中にある……というか後で考える余白があるので救いようのあるホラー映画なんです。

一見、子どもは無垢ゆえに残虐性を持っているといった恐ろしさを描いているように見えますが、実はそうではない。なので、ミッドサマーとイノセンツは全くの別物です!

 

で、この映画の舞台となっているのは団地です。団地は日本でも馴染みがあると思いますが、基本的にはなんらかの理由で貧しい環境に置かれてしまった家族が住んでいる印象があります。ノルウェーでも少なからずそうなのでしょう。そして日本と違う点は移民が多い様子です。

子どもたち4人は団地に住んでいるので、それにはなにかしら理由があります。そしてそうしたバックグラウンドの影響でサイキックパワーを持ってしまった子どもたちにより、残虐な物語へと展開していくのですが、そもそもサイキックパワーを持ってしまったことをこの映画では全く説明しません。

ここがこの映画のポイントだとボクは感じていまして……要は余白の部分(なぜ子どもたちはサイキックパワーを持ったのか?)にあたるのですが、この余白を社会を形成している今の大人たち(監督の立ち位置ではおそらくノルウェーを含む北欧の社会現状)に向けているように感じるのです。

サイキックパワーを持っている子どもたちの力量や個性はそれぞれ違います。主役のイーダはほとんどパワーを持っていません。ベンは相当邪悪なパワーの持ち主なのですが、実は自閉症のアナが一番すごいパワーを持っていたりします。アイーシャは共鳴力に長けています。

このパワーの力量と個性の違いは親からの愛と比例しているように感じます。なぜならベンは親からDVを受けている様子ですし、アナは母親から一日中付きっきりで愛されています。イーダは愛されているけれど、孤立する寂しさから強さを持ち合わせています。

団地という小さなコミュニティの中で、社会や大人、血の繋がった親からも疎外感を感じ、それぞれが葛藤し、そして成長していく子どもの心情を、夏休み、サイキックパワー、そしてホラーという手法を使って描いているのが本作、というのがボクの解釈です。

そうそう、効果音やBGMも最高です。必見です!

そしてそうなんです!勘の良い方はお気づきかもしれませんが、この映画、童夢のオマージュが強すぎるゆえに隠れてしまうのですが、実は物語の軸となっているのは完全にアキラのソレです!

イーダは金田、ベンが鉄男、アナはアキラ、アイーシャはケイです。

結末こそ全く違いますが完全にアキラです!ベンは社会の犠牲者なのです。

と、ボクは感じましたが実際どうなんでしょうね。そうした考察している人はネット上では見かけません。

間違っても「子どもってこわい部分あるよね…」などと言ったペラッペラな感想は、この映画に対してのなんの意味を持たないですし、もしそうした感想しか出てこない大人がいるのだとしたら、それこそ真のホラーです。←監督は実はここを狙っている??

現在、ボクは1歳4ヶ月の子どもを育てている真っ最中。

だからボクはアイーシャのシーン、決して涙無しでは見られませんでした。

イーダの決意、ベンの邪悪、アナの解放、アイーシャの優しさ。

そして大人は何も分かっていない陳腐さもしっかりと描かれています。なので、イノセンツというタイトルの意味は、子どもへ向けた無邪気という意味ではなく、大人に向けた無知というスラング的な意味を、監督は皮肉を込めて付けているのではないかと考察しています。

しかし、最後の最後のエピローグ的な90mmぐらいのクローズアップシーン…

ラストシーンが完全なる童夢のオマージュで強烈なため、こっちに気をとられがちですが、最後の最後のエピローグについて触れている方の感想を発見することが全くできません。アレ思わせぶりというか、母親がまだベンのコントロールから覚めていない様子を伺わせていますが、あのシーンいる?アレは絶対にいらんだろ~(泣)

観客のモチベーション次第で結末が全く変わるようにサプライズ設定したかったのかもしれませんが、そこにどんでん返し的なサスペンス要素は要らん!

…っていうのと、映画のシーンの中で確か一度だけでてきたブランコ飛行機逆さまショットを、フライヤーやポスターでやたら使っているのはなぜ?因みにエンドクレジットも反対からでした。

反対である理由はなぜなんでしょうか??

社会的に貧しい人(反対?)の方が力を持つことが出来る!みたいな説明は全然理由にはなりません。なぜなら社会的に貧しいことは反対ではないとボクは感じるから。

ノーランに影響を受けたり、映像として反対ってどこかかっこよいので、単にビジュアル重視した結果でしょうか?

 

そして、映画館に訪れてよかったな~と思うのは、次観たくなる映画を発見出来ることです。

次はなんと!『ザ・フライ』でお馴染み?の鬼才デイヴィット・クローネンバーグ監督の最新作『クライム・オブ・ザ・フューチャー』が気になって仕方がありません!

ジェニファー・ロペス主演の『ザ・セル』的なグロさがありそうであまり得意な映画とは言えませんが、ボクの大好きで誕生日が一緒!でもあるヴィゴ・モーテンセン主演なのと、近未来を描いているということで気になっているのです。

しかし、こうして映画を観た感想・考察を残すという行為は、映画を観たという体験・経験をじっくりと噛み締め、のちに冷静にロジカルに構築してストーリーを理解し、そして最終的には感情で落とし込むことが出来るため、自分にとって非常に良い行動と感じます。

今後は映画に限らず、購入して気に入ったモノや読んだ本、音楽などで体験・経験したことをもっとこうした形に残していこうと思った次第です。