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宮崎駿の『君たちはどう生きるか』鑑賞前

徳島県で映像クリエイターとして活動をしている、DAISUKE KOBAYASHIです📕

ボクは基本的にテレビは見ないし、インターネットの情報もほぼ見ないため、話題の情報にはかなり疎いのですが、今なんだか世間で話題になっている宮崎駿監督の長編アニメーション映画『君たちはどう生きるか』が非常に気になっていまして、記事を書いてみることにしました。

…というのも、ボクは基本的にアニメはほぼ見ないのですが(何度も見ているアニメはAKIRAぐらいでしょうか…)、宮崎駿監督のアニメは別格として見ている節があります。

なんせ『風の谷のナウシカ』に『天空の城ラピュタ』に『カリオストロの城』。もうなんとも言えない素晴らしい作品たちばかりです。多くのルパン作品を見ましたが、あれほどルパンを面白くした監督は宮崎駿以外にはいないでしょう。

…といいながら、実は宮崎駿監督作品を興味を持って見たのは『千と千尋の神隠し』まで。ボクが21歳の時に大阪の映画館で見まして、なんとも不思議な感覚に覆われたのを覚えています。それ以降は実写映画にどっぷりとハマっていくのです。

『ハウルの動く城』は、キムタクが声優をしているから見る気がしないということを理由に劇場では見ず、劇場公開終了後にDVD化したのをレンタルして大好きな一本となりましたが、『崖の上のポニョ』に関しては数年前に見たレベルです。子供向け感が否めなく退屈に感じたのと、千尋以降は新しい作品よりも古い作品を愉しむことが楽しくなってしまいまして、結果『風立ちぬ』も未だに見ていないのです(←よい機会なので見てみたいです)。ええ、そのくせラピュタなんてもう何十回と見ていますから。

そんなボクが宮崎駿について書くのは如何なものかと思いますが、今回の作品は気になって仕方がありません。

一切広告を打っていないし、SNS等で話題になっているから気になるだとかそんな理由ではなく、宮崎駿は御年82歳だそうです(そういえば春に観に行ったボブ・ディランも82歳だったな〜)。その歳にして『君たちはどう生きるか』と、まるでボクたちに何かを投げかけているかのようなタイトル。

もうこれ、宮崎駿が世の中に対し、『こんな世界で君たちはこれから先、どうやって、何を目的に、なんために生きていくのか?』と訴えかけている作品で間違いないと思うんですよね。端的に言えば生と死の話なんだなと。これは見ずにはいられないじゃないですか。

因みにネタバレ的なのは見ていませんが、あるポッドキャストの番組で見た感想は聴きました。1時間以上に渡って「駿、ホントすげー!」みたいなことばかりで全く内容がなく、それはそれで面白かったです(笑)。

で、情報もそれなりに出てきたタイミングで、『君たちはどう生きるか』と軽く検索してみると、感想なんかもチラホラと目に入ってきまして、「傑作」といった感想と共に、「金返せ」「意味が分からない」「ジブリは好きだけど、この作品はない」などといった批判の声も殺到している様子で、これまたボクはそそられたのです。

なんせ両極端に意見が分かれる方が作品として面白い…というか、それだけ簡単に理解出来ないメッセージが作品に込められているという証拠ですし、そのメッセージを理解できるかできないかは受け取る側の問題と言えると思うのです。

今まで多くの名作を作ってきた監督に対し、たった1,800円ほどの金を「返せ」とはなかなか言えるものではありません。しかも公開して割とすぐに映画館に観に行くほどなので、それなりに宮崎駿作品への思いやベスト宮崎作品もあるに違いありません。それでその態度とは、どう考えても理解が出来なかった受け取る側に問題があるとしか思えません。

要は過去の文脈への理解と、未来への想像力が完全に欠落しまっている結果だと思うのです。

特に宮崎駿が作ってきた作品たちはメッセージ性の強い作品ばかり。それを可愛いキャラクターでファンタジー化したストーリーで表現しているものだから、軽く見ている人も多いのだろうし、老若男女に受けるわけなんだけど、内容だけを考えるとゾッとしたりハッとすることも多いはずです。

だってラピュタは文明そしてテクノロジーへの警鐘ですし、ハウルなんて戦争の話ですよ。というか反戦の話でしょう。千と千尋は冒頭でお父さんお母さんが豚になるんですよ!冷静に考えたら自分たちの人生に置き換えて「うーん…」と考えるべき表現でしょう!

そうしたメッセージ性のある監督が、晩年に引退したと言っておきながら10年ぶりに長編アニメーション映画を制作し、『君たちはどう生きるか』とまるで世の中に問いただすかのようなタイトルを引っさげてリリースしてきたのです。これは見るしかないのです。

そして、引退したと言っておきながら、なぜまた作品を作ったのか?作る必要があったのか?

それは昨今の戦争しかり、世の中の情勢に向けた警鐘というよりも、この世の中のカオスな情勢を前提に、日本人を中心にボクたち大衆に向けた警鐘的な作品を作る必要があったのではないかと感じています。

なぜかというとボクたちはあまりにも普遍的ではない、本質からかけ離れている時代を生きており、興味といえばTVから流れる下らない情報、目の前に流れてくるどうでも良いソーシャルメディア、広告につられて消費する日々、過剰に飽食する傲慢な毎日、ラピュタが放映されようものなら「バルス」とツイートすることに時間を割いているほどです。なんだか皮肉だなと思うのはボクだけでしょうか?

戦争に負けた日本、戦後からの復興、アメリカナイズする日本、冷戦からのグローバリゼーション、完全に資本主義化し、人は勝ち負けにこだわり、無駄に物は溢れ、無駄に競争をする。そして自分の頭で考えることは限りなくなくなり、メディアに踊らされ、ぬるま湯に浸かっているカエルのような大衆たちに向けた、宮崎駿の最期のメッセージなんじゃないかと感じているのです。

きっとその大衆として表現した、「ぬるま湯のカエル」的な登場人物もどこかででくるはずです。そしてそれが実は裏主人公というわけなのではないでしょうか。そう、「金返せ」と匿名であることをいい事に、軽率なコメントをネットに書いてしまうような人たちにこそ、宮崎駿は強いメッセージを込めてこの作品を届けたかったのではないかと思うのです。もし一部の理解ある限られた人に届けたいのであれば、全国の映画館で放映する必要はありませんからね。

ええ、まだ観る前なので、とんでもない見当違いな考察なのかもしれませんがボクはそうあって欲しいと思うのです。なぜなら宮崎駿の作品なら大衆に向けて強いメッセージを届けられる力があると思うから。なぜメッセージを届ける必要があるかって、だってこのままアメリカの奴隷同然に日本が進んでいくのだとしたら、ボクたち(君たち)は日本人としてのアイデンティティを完全に失ってしまう国民の集まりになってしまいますから。

観に行ったら答え合わせと共に、感想をここに書いてみようと思います。

 

そして「日本人としてのアイデンティティ」と書いたらこんなことを思い出しました。

1990年の紅白歌合戦でベルリンにてライブを行った長渕剛の『親知らず』。ありえないほどの迫力で、当時これをよく紅白歌合戦で放送したなと思わずにはいられません!なんせ時代はベルリンの壁が崩壊し、世の中は完全に資本主義に向かっていく最中です。こんな映像を見ると「昔のテレビは良かったな」と年寄りたちが口を揃えるのも理解できるところではないでしょうか。

当時ボクは10歳でしたが、謎の油絵とボトルシップが飾ってある応接間に置かれたブラウン管サイズのテレビの前で、大晦日に兄と一緒に張り付いて痺れていたのを今でも覚えています。まだ小学4年生の子どもでしたので言葉の多くは理解は出来ませんでしたが、ドラマ『しゃぼん玉』の西新宿の町医者ポーしかり、長渕剛という存在は子どもながらに衝撃的だったのです。なんせ片足で国会議事堂のような場所に乗り込んでいくんですから。

そうそう、この歌詞で出てくる「カイフさん」はボクの出身地である愛知県一宮市出身の海部総理。お陰で一宮の駅前は東と西で大きく色が異なることとなり、付近には謎の高速インターが出来たりして、政治の力を子どもながらに感じていましたよ。